免疫治療は医学界に大論争を引き起こした

毒素を中和する「抗毒素」

ワクチンの開発と並行して19世紀の末から20世紀にかけて誕生したのが化学療法です。ワクチンはそもそも「予防」が目的ですが、感染してしまった場合は、体内に侵入した病原菌を化学薬品によて死滅あるいは、無害化さればよいというのが化学療法の根底にある考え方です。

ところが、すでに19世紀の細菌学者は、免疫の根幹に関わる新たな事実を発見していました。破傷風菌やジフテリア菌の培養液には、菌を除去してもなお、きわめて強力な毒素が含まれていることがわかったのです。
その後、ベーリングや北里柴三朗らによって確立された血清療法は、細菌の毒素を注射した動物の血清に、毒素を中和する物質がつくられることを利用したものです。
この物質は、「抗毒素」と呼ばれます。

この抗毒素の本体はたんぱく質(抗体)であり、血清療法とは抗原抗体反応(免疫反応)であることが知られるようになるのはその後のことです。しかし、抗毒素の発見は当時のヨーロッパ医学においては、大論争を巻き起こすのです。
争点は、伝染病防御の主役は、細胞なのか?体液なのか?という議論です。

抗毒素の発見は、古代ギリシャのヒポクラテスの体液説の復活を思わせるモノが多々ありました。

病気はなぜ治るのか?を問い直す

ヒポクラテスは、人体には、血液、粘膜、黒胆汁、黄胆汁という四4種類の体液が流れていて、このバランスが崩れると病気になると考えたと伝えられています。もっとも、この非科学的な体液説は、ヒポクラテスのものではないともいわれています。むしろ重要なのは、ヒポクラテスが人間は、生まれながらの自然治癒力が備わっていて、医者や薬というには、病人のもつ自然治癒力の手助けをするものにすぎないという考え方を医療に根本に据えたいということです。

これは東洋医学にも通じる理解しやすい考え方ですが、ルネサンス以降のヨーロッパ医学は、解剖学からはじまったたために、いつのまにか臓器中心、、そして細胞中心の病気観・医学観に変わってしまったのです。
病巣は手術で切除し、病原菌は、薬で殺してしまうのが治療であると考えたためです。

血液中の抗毒素が発見されたということは、病気を防御する働きが、臓器や細胞ではなく体液にあることを意味します。ヒポクラテス医学を否定してきたヨーロッパの主流医学界としは、体液説の復活は認めるわけにはいかなかったのです。この論争は現在でも形をかえて続いています。

それは、結局のところ「なぜ?病気は治るのか」という問題になります。ガンは、薬や手術で治るという医療観もあれば、自然治癒力で治る、という医療観もあります。これは非常に重大な事項でもあるのです。


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